山口県防府市松崎町14-1  防府天満宮初詣の紹介 2004/01/02  




山口県防府市松崎町14-1
防府天満宮初詣の紹介
2004-1-2 


[防 府 天 満 宮 由 緒 ]

防府天満宮は学問の神様、菅原道真公を始め、天穂日命(あめのほ
ひのみこと)、武夷鳥命(たけひなどりのみこと)、野見宿禰(の
みのすくね)の四柱をお祀りしており、延喜四年(904年)のご
創建をもつ日本で最初の天満宮です。

菅原道真公は、九州の太宰府に流される途中、船を当地勝間の浦に
おつけになり暫くご滞在になりました。公は酒垂山にお登りになり、
「身は筑紫にてはつるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」とお
誓いになり、家宝の金鮎12尾を国司に託して寂しく旅立たれました。

延喜三年(903年)菅原道真公のお亡くなりの日、勝間の浦に神
光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引きました。ここに国司土師信貞は菅
公の御霊がお帰りになられたと、翌延喜4年(904年)この地の
酒垂山に社殿を建立して松崎の社と号しました。これにより日本で
最初の天満宮といわれています。

[菅 原 道 真 公 ]

道真公は御父を是善公と申され御母は大伴氏で仁明天皇の承和12年
(845)6月25日京都の菅原院で御誕生。幼名を「阿呼」と申されました。

菅公は幼少より文学に秀でられ、御年僅5歳の時、「美しや 紅の
色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」と詠まれました。11
歳では「月夜に梅花を見る」の題で最初の漢詩を作られました。

18歳で文章生、26歳で対策に及第され、33歳では文章博士に
なられました。以来、学識愈々高まり誠直な政見によって、時の宇
多天皇の信任篤く、遂に55歳の時右大臣に任じられ職務を全うされ
ました。

延喜元年(901年)藤原氏の陰謀により太宰府に左遷されることに
なりました。公が旅立たれる時、「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅
の花 主なしとて 春な忘れそ」と庭前の梅の花に別れを告げられ
たことはあまりにも有名であります。そして旅の途中、勝間の浦に
お立ち寄りになり寂しく旅立たれていかれ、延喜3年(903)2月25日、
太宰府でおなくなりになられました。
防府天満宮ホームページより











             

           



 





 

                 










                 


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山口県防府市松崎町14-1  防府天満宮の場所






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