、山口県光市室積 早長八幡宮の紹介  2016-4-6





山口県光市室積      
早長八幡宮紹介 
2017-1-12

        早長八幡宮
鎮 座 地 光市大字室積村三二八九番地 

祭   神 
(主祭神)応神天皇 神功皇后 三女神(田心姫命 )市杵島姫命・ 多岐都姫命

主要祭典
例祭(十月第一日曜日)、祈年祭(四月第一子の日)、新嘗祭(12月第一日曜日)
社   殿
本殿(流造・七坪五)、幣殿(二二坪五)、拝殿(二四坪)、神饌所(六坪五)

境内神社
  江原神社(素遺嗚尊外一座)、祇園社(素蓋嗚尊外二座)、 江ノ浦天満宮(菅原道真・大国主神外四座))、 杵崎神社(級長津彦命外一座)

境 内 地
 一六八四坪 境外七三七二坪 堺外地 七三七二坪

境内建造物
 鳥居(石造・寛延三年)、大灯籠一対(石造・寛政五年)、至誠報君碑一対(大正十四年)、 一ノ狛犬一対(石造・昭和十二年)、ニノ狛犬一対(石造・文化元年)、浄水鉢一対(石造・大正二年)、 百度石一対(石造・安政四年)、灯寵一対(石造・明治三十二年)、江原社鳥居(石造・文政十三年)ヽ 国旗掲揚柱(銅造)、昭和御大典碑(石造・昭和三年)、平成御大典碑(石造・平成二年)、神庫(木造・九坪七)、 神輿庫(木造・六坪)、手水舎(木造・二坪二五)、社務所(木造・三五坪)寄付名板二基(石造・銅板


特殊神事
 田頭幸祭(七月中旬)冬至祭(一二月上旬)湯立神事・頭の神事(十月上旬)「播磨の八頭周防の九頭」 と言われて著名であるが、起源については不詳であり伝えられていない。然し、毎年厳格に行われている。
奉納芸能
 木遣唄、例祭に各地区より数名にて社前に奏上する。主として漁業者が中心で
江戸時代に松前船の乗員により伝えられたという。現在「木遣唄保存会」がある。

風鎮奉納相撲(九月上旬)、杵崎神社境内にて子供相撲と、近県の相撲団体の試合が行われる。

相撲は現在参加者が無く世話する早長八幡宮の世話人いなくなり中止となった。

踊車、市指定文化財で、例祭神幸に人力にて引かれる。宝永七年(1630)以来の行事である

社宝
 絵馬・和歌の三神図(弘化二年)1845 播州明治屋長次郎奉納 海上安全の添書がある。

由緒沿革
 室町時代の文安元年(1444)、当社は豊前国宇佐八幡宮より御勧請したが、
その御船が早長の浦現町名西之浜)に無事御着船よって、早長八幡宮と称し奉る
。 普賢山の御立山へ奉祀せし後江戸時代の寛文元年(1661)に現在地へ御遷座。
享保十四年(1721)、神祇官代より神位正一位を授けられ、そのとき宣命と
それを入れた唐櫃及び正一位早長八幡宮の御額を賜わったという。

旧藩政時代には、代官所より毎年例祭の踊車神楽料として「修補銀参百匁」
が下与されまた六月の漁祭には、銀子六〇匁が献納されたという。






入口付近 奥本殿
 



 

原社鳥居(石造・文政十三年
江)



江原神社の鳥居(石造・文政十三年)






江原神社の灯籠


江原神社



江原神社本殿



江原神社




早長八幡宮に、この雌雄の岩が祀ってある。
室積半島の東側の海は地原(じばら)
西側は早長(はやおさ)である。

早長の瀬の二つの岩の間からまっ赤な太陽が
のぼりはじめ どこからともなく一羽の大鳥が
舞いおりてきて、岩の上に羽を
休めたかと思うと、一声大空に向って鳴いた。
その鳴声が内蔵の耳にはきこえた。
早長や跡垂そめし雌雄の岩の うこかぬ千代の
栄をも見ん
[意味:ここ早長に神がおいでになった。

いつまでもこの神を大切に祀り早長の瀬の
二つの雌雄の岩が動かぬ如く千代に栄えの
あるように゜

この早長の瀬の二つの雌雄の岩が祀ってある
 

 

灯篭
 

狛犬
 

入口付近の旧土産店
 
早長八幡宮えのアクセスはJR光駅から
バス約15分である。
場所は光市室積は小さな町で
誰かに聞けばすぐにわかる。 inserted by FC2 system