、山口県周南市 祐綏神社(ゆうすいじんじゃ)の紹介  2016-4-6





山口県周南市徳山5854-7      
祐綏神社(ゆうすいじんじゃ)の紹介 
2016-4-6


   山口県周南市徳山祐綏神社(ゆうすいじんじゃ)の紹介
 祐綏神社 (ゆうすいじんじゃ)は、山口県周南市にある神社。祭神は徳山藩初代藩主・毛利就隆と9代藩主・毛利元蕃。
 社格は県社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。

[概要]
 社号の由来は、「神道明辨」の中にある「護神祐以綏萬民」という文から出されたものである。
 元来は、現在の周南市徳山動物園の中央部に位置していた。  徳山藩家中一同の要望により徳山藩主毛利家の霊社として文化8年閏2月15日(1811年4月7日)、徳山藩初代藩主・毛利就隆を祭神に創建された。
 しかし、明治になり、当主・毛利元功の東京移住に伴い神霊も東京に移った。
 明治7年(1874年)神霊の東京移転に伴って、旧藩士達は神社建立の認可を得て再建し「祐綏神社」とした。
 明治31年(1898年)10月、郷社に封ぜられる。大正4年(1915年)県社に昇格し、9代藩主・毛利元蕃も祭神に加えられた。
 昭和20年(1945年)7月26日、徳山大空襲によって消失。昭和35年(1960年)11月、毛利家の寄付を受けて旧毛利邸内御霊社に再建された。
 主要祭典として4月3日に例祭が行われる。

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        祐綬神社(ゆうすいじんじゃ)
 もとは徳山藩主毛内家の霊所であったが、明治7年5月に祐綬(ゆうすい)神社に改められた。
 明治31年10月に郷社に外せられヽ大正4年10月には県社に昇格した。
 その後、昭和20年7月26日の徳山空襲により焼失したがヽ昭和35年2月に毛利家の御霊社社殿の寄付を受けてこの地へ 再建された。
 もともと祭神は初代藩主毛利就隆であったが、大正4年に九代藩主元蕃が増加された。
 初代就隆は、城下町徳山の基礎を築き、大いに文武を奨励し産業を興し、交通運輸の便をはか力、商工業の発展に努め、徳山 発展の基を開いた
 九代元蕃は、幕末・維新の時に東奔西走し、よく萩本藩を助け維新の大業に尽力した・また文武の振興に努め、産業の興隆に 寄与しヽ戊辰戦争でも多大の功績をおさめ士民から敬愛された。
 境内に「徳山藩開府250年」と「徳山改称250年」の記念碑が建立されている。

         平成17年3月   周南市教育委員会 

                 
 恵美須社の場所アクセスマップ



周南市徳山動物園に隣接している。




昭和20年(1945年)7月26日、徳山大空襲によって消失。
昭和35年(1960年)11月、毛利家の寄付を受けて
旧毛利邸内御霊社に再建された








 説 明 板





祐綬神社(ゆうすいじんじゃ)拝殿


 祐綬神社(ゆうすいじんじゃ)参道



 祐綬神社(ゆうすいじんじゃ)







 


 参道



 


 本 殿 
 
 
 
 
参  道 
 
 
 

拝 殿
 
 
 

周囲の様子

 


 

本 殿
 


 


 


 


 

参 道
 
感 想 そ の 他

 周南市徳山動物園の花見に出かけた際、珍しい名前の神社に立ち寄り調べた。。



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