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山口県光市室積正木 正木稲荷社廃止の紹介  2012-7-22





山口県光市室積正木   
正木稲荷社廃止の紹介  
2012-7-22


   正木稲荷社と大隈稲荷社について


 寿永3年(1184年)屋島の戦に敗れた平家は、海路を西に逃れた。
 平経盛の船は、室積舟戸の浦に寄りしばし休息した。
 経 盛は、船路の安全の守護神として船中に祀っていた幸徳稲荷大明 神を、この地に遷座するよう命じた。
 その時、愛娘「澄姫」を 敗戦の道づれにするに忍びず、雅楽守に同道して下船を命じました。
 澄姫は、この稲荷様に村の五穀豊穣を祈り、村人に慕われてこの 地で亡くなりました。 村人は「お澄様」とも呼び、祀り信仰している。
 現在は大隈稲荷社と正木稲荷社とがある。これは江戸時代初期に 蓬莱山から正木と澄田の境界に稲荷社が移され、後に両地区の話 し合いで、御心霊を二分してそれぞれに社を建立し村の守護神とした からである。
[室積探訪]



  正木稲荷社の廃止について


 平成24年3月25日の平成23年度正木自治会総会で現在3、4班で行っている。、
 正木稲荷神社の管理を自治会全体で各班で行って欲しいとの要望がでた。
 世話をする人が少なくなっているためである。管理にも協力願いたい。清掃、通路除草、献花である。
 役員会、臨時総会で検討後廃止となった。
 自治会便りで下記の連絡があった。
            正木稲荷社について
 以前ご報告した通り正木稲荷社の頭屋廃止に伴い、正木稲荷を返すことになり ましたが、お返しする先が京都の『伏見稲荷大社』に決まりました。
 お見送りの参拝を済ませた後に伏見稲荷大社へ御返納したいと思いますので、
 7月22日10:30に正木広場へ集合し、参拝します。
 参拝者全員で記念撮影をしたいと思います。自由参加ですのでお気軽にご参加 ください。
            正木稲荷社伏見稲荷大社へ御返納行事当日について
 2012年7月22日予定どうり、御田道祭(ごでんどうさい)夏祭りに引き続き、 伏見稲荷大社へ御返納の催しが行われた。
 神職によるお払いは無く、自治会長の音頭で二礼二拍一礼を全員で行った。
 その後これまで年1度大隈稲荷社の頭屋も参加し行われていたという般若心経を全員で唱えて終了した。
 その後伏見稲荷大社へ御返納するご神体等の紹介があった。
 伏見稲荷大社写真を送り指示を受けたとの説明があった。これ以外は自由に処分してよいとのことである。
 希望者の記念写真を撮った。
 本殿も時期を検討し解体の予定とのことである。


            正木稲荷社伏見稲荷大社へ御返納と解体について
 2012年7月24日にニ御神体、御幣、キツネ2体をクロネコヤマトで京都の伏見稲荷大社へ返納した。25日の午前中には到嗇する予定である。
 8月に解体開始した。

    山口県光市室積正木 正木稲荷社の場所


正木稲荷社と大隈稲荷社は歩いてすぐの場所に実ある。




夏祭りは、7月の第4日曜日に早長八幡宮宮司により行われる。



この祭りは、御田道祭(ごでんどうさい)/御田頭祭(ごでんどさい)などと呼ばれ、
神霊の田道渡御(でんどうとぎょ)を意味する  



享保12年(1727)7月、西ノ庄で 稲作虫害のため
虫供養の祈祷をしたことから始まった。
神輿の下をくぐり安全を祈願する。



鳥居



  
手水舎







神殿


参道




神殿


現在の稲荷神社立替の寄進者が記録されている。
昭和44年(1969)11月3日で正木自治会員 の殆どが寄進されている。
施工業者:白井組(白井泰)と記載されている。


現在の稲荷神社立替の寄進者の記録








自治会長の音頭で二礼二拍一礼を全員で行った。




伏見稲荷大社へ御返納するご神体等の紹介。
この4点意外は自由に処分。

 

返納する木箱の蓋
 


 

ご神体の寄進者。
正徳三(葵己)9月 井上久子米之助。 
1713年3年9月 徳川家宣の時代で約299年前である。
ご神体が磨かれた日?
文政十二己丑9月日磨之 1829年9月 寄進後106年後に磨かれた。

 

  キツネの置物は約10体あった。

 

神殿裏側



 

平成9年約100万円で屋根の葺き変えた。
そのとき外した昭和44年の鬼瓦。 記憶では1体4万円とのこと。2個保存されていた。



 

新聞社取材



 

見送り参拝の人記念写真



 

2012年8月15日解体工事の写真



感 想 

 長い先人が守ってこられた稲荷社の最後に立ち会ったことは残念である。歴史の記録として残したく紹介する。
 普通では見ることの出来なご神体に寄進者の名前と約300年前の記録が確認できた。
 せめてその記録を残したい。
 時代の流れと宗教で仕方ないのかも知れないが、市にも例え小さなものでも歴史的なものの保存に配慮して欲しいと感じた。


 最後に方丈記 鴨長明の冒頭を紹介します。私の感想です。
 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、 またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、 昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、 いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。 知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、 無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。



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