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山口県光市室積東ノ庄田越 白雲稲荷大明神跡の紹介  2012-3-1





山口県光市室積東ノ庄田越    
白雲稲荷大明神跡の紹介 
2012-3-1


  白雲稲荷大明神由来縁起について
 
 祭神 宇迦之御魂神(豊受比女神)  
 白雲稲荷大明神は室積御手洗湾の見晴らせる高台にある。  
 室積で商店を営んでおられた吉岡道介さんが上関の皇座山にある 白雲稲荷大明神で修行宮司の資格を神社建立のため取得された。  
 その方が、昭和7年に皇座山より御霊を室積に勧請し白雲稲荷大明神を建立された。  
 拝殿は昭和30年に放浪者の不始末で、一度焼失したが、翌年昭和31年12月に信者の寄進により再建された。  
 昭和43年にも大峰山一帯の山火事では神社周辺の山林はすべて焼失したが、拝殿の火災だけはまぬがれた。  
 この後大雨による水害で表参道が崩落した。表参道の横に新たな道を増築した。  
 昭和40年代まで参拝者が多かった。毎月3のつく日がお祭り日だった。  
 地域の方の集いの場所としての機能も果たしていたようである。  
 建立者が亡くなられたのち,平成16年に後継者も途絶え総代をされる方も見つからず、神社の機能を果たしていないという理由から、神社の解散・社の解体の運びとなり、鳥居 もすべて撤去された。  
 早長八幡宮の宮司さんが解散の儀式を執行され、ご神体は京都伏見の白雲様にお返しした。  
 平成16年1月に神社庁への登録が抹消された。  
 現在も参拝者は見られる。近所のかたが参道の手入れはなされている。  
 神殿には今も新しい榊がたむけられていた。   
 名前の由来  
 皇座山稲荷神社に祠られているご神体は7体あり、最高位の白雲稲荷を始め国光稲荷、徳森稲荷、千葉稲荷、住吉稲荷、初宮稲荷、白鳥稲荷の七神の「白雲稲荷」より名付けたと思われる。
(ふるさと探訪・かみのせき・・皇座山稲荷参考) 


山口県光市室積東ノ庄田越 白雲稲荷大明神跡の場所


参拝される方はかんぽの宿光の道を通り過ぎ
アネックススポーツランド手前から山へ登れば一本道である。
場所は参道入口の写真を参考にしてください。




参道入口 車で近くまでいける。



平成24年(2012)撮影 参道入口 



昭和45年(1970)撮影 参道入口 上の写真と同じ場所



上の写真の鳥居の撤去跡



  
参道入口から象鼻が崎の展望



参道石段



東ノ庄田越の守り神。
右の木の正月飾りから、大切に管理されていることが分かる。



ゆうが様の祠と呼ばれている。




門柱。
千秋万歳国土平安(長寿を祝す)。
五嵐十雨和楽(風雨のあと農作物がみのり世の中が安泰)
と刻まれている。
昭和11年9月吉日


門柱の後に沢山の鳥居が寄進されていた。
二つの大鳥居と約30の鳥居があった。


撤去された鳥居の跡





手水舎



水害の跡?




神殿への最後の石段

 

神殿からの象鼻が崎の眺め
 


 

かつては鳥居があった。

 

建設者の碑 
昭和18年10月に刻まれている。(この碑が建てられた年月)
建設者を知りたい方は是非参拝ください。

 

  拝殿跡。
拝殿の横に神供所(通夜堂)向拝もあった。

 

神殿周辺


神殿




神殿の屋根



神殿に 新しい榊が供えられていた。



灯籠 昭和12年3月寄進 横に用水枡  







昭和45年厠(トイレ)も設置された。






湧き水をため水道を計画した。水量が足りなかったようである。 





上関皇座山の白雲稲荷大明神の鳥居 





上関皇座山の白雲稲荷大明神の本殿


感 想 お よ び 謝 辞

 大変立派な稲荷大明神があったことに、室積に住みながら知らなかったのは 残念なことである。
 関係者の方の建立までの努力、その後の管理は大変だったと敬意を奏する。
 昭和7年から平成16年までの73年間はあまりに短すぎる。
 神社の解散、解体の決断をされた関係者の心痛が想像にあまりがある。
 今回初めて白雲稲荷大明神の建立解体の経緯を知り記録に残したいと、発表した。
 作成にあたり白雲稲荷大明神近くに住んでおられた方の調査結果をお聞きしまとめた。
 また建立者の 親戚に高校時代の同級生がおられ、ホームページに紹介するので、昔の写真をお願いしたところ快諾してお貸し頂いた。
 お二人に深く謝意を表します。



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