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山口県周南市大字鹿野上 漢陽寺の紹介 2011-5-4  





山口県周南市大字鹿野上   
臨済宗鹿苑山(ろくおんざん)漢陽寺の紹介 
 2011-5-4 

  漢陽寺の沿革について
 
 臨済宗鹿苑山漢陽寺は、大本山南禅寺別格地として山口県下屈指の名刹であり、論旨をもっ て十刹の地に任ぜられた尊い寺歴を嗣いでいる。  
 開基は、応安七年(約六百年前)、中国筋を一手に掌握した大名大内家二十六代当主、左京大 夫盛見公で、開祖は室町時代の名僧、用堂明機禅師である。  
 本堂御本尊には、釈迦如来、脇侍かしょう尊者、あなん尊者。仏殿には、聖観音像、脇侍不動 明王、毘沙門天王を安置する。  
 この他、往古より伝わる名宝も丁重に保存され、名庭と共に中国地方きっての名刹としての歴史を示している。
受付で頂いたパンフレット要約 
 
  平成の名水百選 潮音洞、清流通りについて

 環境省は、木環境保全の一層の推進を図ることを目的に、地域の生活に溶け込んでいる。
 青燈な水や水環境のなかで・特に・地域住民等による主体的かつ持続的な水環境の保全活動が行われているのを、 昭和60年に選定した「名水百選」に加え、新たな名水「平成の名水百選」の選定を行い、「潮音洞、揖流通り」が平成20年6月25日に認定された。
  1.名称及び形旋
   名水名:潮音洞、清流通り
   種 別:用水
  2.潮音洞、清流通り
 潮音洞は、錦川支流渋川から用水を取り入れるかんがい用隧道であり、県指定文化財となっている。
 漢陽寺本堂裏の隧道から流れ出る水は、境内の日本庭園を形成する水流となったのち、清流通り沿いを流れ、 下流の農業用木、防火用水として用いられている。
 この水は、漢陽春において、静的な日本庭園に動的な彩りを与えるとともに、清流通り(延長545m)においては、 水を利用した人の営みを伝える。 水車や、四季の移り変わりを感じられる。巨木群やしだれ桜が一体となった景観を形成しており、水を中心として自然・文化、 そして住民の生活が一体となった散策スポットとなっている。
 また、民間、行政がそれぞれ保全活動を行っており豊かな環境を保全している。
案内板転記 
 

  第15番札所 臨済宗南禅寺派別格地鹿苑山漢陽寺
 
 漢陽寺は中国自動車道・鹿野ICから直ぐの所に位置する。寺裏山の潮音洞(ちょうおんどう)より流れ出る遺り水を活かし、 古庭園を模して築庭された閑雅な雰囲気の『曲水の庭』に代表される様々なタイプの庭園(蓬莱山(ほうらいさん) 池庭、九山八海の庭、地蔵遊化の庭など)と、精進料理が好評を得て名を馳せ、今では訪れる人も多く、 マスコミに紹介されることも再々の有名寺である。  
 漢陽寺開山の用堂明機禅師は、当時名僧の誉れ高く、応安7年(1374年)大内氏26代当主・盛見 (もりはる)が禅師を招いて開山した。
 用堂明機禅師は唐に渡り、杭州の竺源遠禅師について11年余の長きにわたって学び仏道を究めた。
 帰国後、中国地方一帯の権力者・大内弘世の篤い帰依を得る。弘世公亡き後、弘世の四男・盛見が父の遺志を継ぎ、 伽藍を創建し禅師を招いて開山、大内家の祈願寺とした。  
 漢陽寺は南禅寺派の別格地である。
 漢陽寺開山当時の臨済宗は、室町幕府が鎌倉と京都にそれぞれ五山十刹(じっせつ)の制度を設けており、 京都五山は貴族が疵護していた。
 五山はいずれもその下に十刹と呼ばれる寺院をもち、住職は代々、幕府の命によって任じられた。
 南禅寺は、その五山の上に位置し別格の扱いを受けていた。
 漢陽寺がその南禅寺派の別格地であったのも、名僧といわれた用堂明機禅師の御徳と高名によるところと思われる。
中国観音霊場ホームページ 
 

山口県周南市大字鹿野上臨済宗鹿苑山漢陽寺の場所




漢陽寺の境内指定文化財案内図




  臨済宗鹿苑山漢陽寺のスナップ写真




上に内容転記



駐車場


漢陽寺山門



漢陽寺山門への松並木

 


モミジの新芽が美しい



鏡池





玉澗式枯山水庭(山門前・桃山時代様式)

北宗画の代表的な画家・玉澗が創作した画風を日本庭
園の様式に取り入れたところがら、玉澗式と呼ばれてい る。
この庭園は、中央部の枯滝上部に高く石橋を架け、そ
の下に鶴亀式の石組を設け、上部に蓬莱遠山の立石を見
せ、いかにも北宗画の画風を思わせる。




法堂
市指定文化財
木造地蔵菩薩立像
木造十一面観世音菩薩坐像




法堂
市指定文化財
木造十一面観世音菩薩坐像
鎌倉時代に作られたと思われる像である。
中山観音堂洪鐘鋳替勧進帳写によれば、
延暦寺三代慈覚大師の作とされている。




法堂
市指定文化財
木造地蔵菩薩立像
藤原時代に作られた、ヒノキの一木造りの像である。
「沓(くつ)をはくお地蔵さん」として、古くから親しまれている   




法堂 鹿苑山
漢陽寺の山門山門をくぐると、正面に本堂がある。
本堂の左側には法堂があり、中央には本尊の聖観音菩薩、
両脇には不動明王と毘沙門天が安置されている。
これが中国観音霊場15番札所となる。


法堂 から庫裏を望む


漢陽寺石仏



中から見た山門



漢陽寺本堂

本堂(大方丈)は樹齢2,000年以上の総台湾檜材
の造りで建築様式は南北朝時代に大内盛見公創
立当時の様式を復元した優雅な建築美を表わし
ている。


正面に進むと受付
 

九山八海の庭(書院東部・鎌倉時代様式)

この庭も、蓬莱山池庭につづく池泉観賞式の庭園である。
山畔下に築山を作り、鎌倉時代にみられる立石を中央
に組んだ、須弥山式の手法による豪快な庭園である。
 
            

書院東部

 

  蓬莱山池の庭 鎌倉時代様式の庭園です。







 


書院東部




書院東部





潮音洞(出水口)

漢陽寺本堂西側の裏山に、山口県の史蹟に指
定されている潮音洞がある。
いまから約三百二十年前の承応三年(1654)、
岩崎想左衛門重友が、鹿野村一帯の繁栄のため、
錦川上流の水を引き、漢陽寺の裏山にトンネル
を掘って、その水を引いたものである。以来、
潮音洞からの清らかな水が、干天の時も減水す
ることなく、この地域全体をうるおしてきた。
三百年以上前に、このような灌概の技術がすで
に行われていたことに、驚嘆する他はない。


潮音洞(出水口)

慶安4年(1651年)に工事を起し、村人達も
、工事がすすむにつれて協力を惜しまず4年の
歳月をかけて完成した。
この時代は測量技術や工具が稚拙であったので工事
は難航を極めた。
潮音洞の完成によって62町歩の水田を開作するこ
とができ、住民300戸の生活用水を救うことがで
きた


潮音洞の水路











 





曲水庭(本堂前庭・平安時代様式)


曲水庭(本堂前庭・平安時代様式)

曲水の様式は、平安時代から鎌倉時代にかけて流行し
た庭である。
当時の貴族が詩歌を作り、曲水に盃をうかべ
て遊んだという、まことに優雅な庭であることが記録に
残っている。
しかし、当時の曲水様式の庭園は、現存していない。
その様式を昭和に残すべく作られたのが、この庭園である。
しかも曲水を中心に、枯滝、築山などの構成をとり入れ
て禅庭とした珍しい曲水庭といえる。



曲水庭(本堂前庭・平安時代様式)


地蔵遊化の庭(中庭・平安時代様式)
この庭園は、地蔵菩薩が子供と遊戯する様を平安様式
の石組によって表現したものである。
枯山水の様式を用いながら、動的な表現を狙いとした
珍しい庭園である。












寺の外から潮音洞取水口が見れる。


 


白い泡立ちが潮音洞(出水口)




潮音洞取水口入口(寺院裏山の東側)



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