山口県山口県防府市大字鈴屋 宇佐八幡宮の紹介 2010-4-18  



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山口県山口県防府市大字鈴屋840 
 宇佐八幡宮の紹介   
 2010-4-18 

 宇佐八幡宮の祭神他


●宇佐八幡宮
 この神社は、防府市の北北東6km程の辺り、八幡岳の東側山麓に
鎮座しいる。
 長い参道を登って行くと、正面に茅葺の重厚な拝殿が見える。

 [御祭神]
 誉田別命(応神天皇)・息長足姫皇后(神功皇后)・「奥津嶋比賣命・
市寸嶋姫命・多岐津姫命」=三女神

 [創立・由緒]
 御創建は宇多天皇の寛平三年(891)佐々木徳寿丸が全国八幡宮
の総本社鎮西宇佐神宮に参籠、皇作延長・天下泰平・国家安全・
五穀成就・惣民豊楽を奉祈したる御神璽を供奉し、八筈岳中程の伊勢山
に鎮祭し創祀とす。
 その後六四三年を経た後、奈良天皇の天文二年(1523)八幡宮
の御璽が現在の社地鈴寶山の大岩上に御飛座の神変出現したが為、
久満佐渡左衛門尉重友が寶殿を建立し移祭した。

 157年を経た元禄三年(1690)社殿焼火す。
元禄七年(1694)御神殿を再建、天明五年(1785)幣殿・拝殿を再建し
今日に至る。

 [神態]
明應二年(1493)征夷大将軍足利義稙・畠山義豊・細川政元と河内
の正覚寺に戦い、敗走して当地に下り、再び大将軍たらんと当宮に参
り戦勝祈願のため鐘、太鼓を撃たらしめ、舞踊らしむ。

 その時より今日に至るまで俗に鐘踊と唱え、毎年例祭にはこれ
を執行し神意を慰め奉るものである。
境内由緒書より
 宇佐八幡宮の場所




一ノ鳥居 (石造・文久3年)





これより長い参道





 











二の鳥居




 承応3年(1654)江戸時代前期の建立で寛永の鳥居と呼ばれ
 山口県では五番目、防府では二番目に古い鳥居である。



赤さま


 この石の祠は赤さまと呼ばれ赤ちゃんの身体健全育成の神様と
して古くより厚い信仰を、集めています。

 初宮参りには十二重ねの団子をお供えしお参りするものとされ、
赤さま詣りと称して親しまれています。

 お供えされた団子は決して焼いて食べてはいけないっといわれ
現在も伝承されいます。





伯稜威雄顕彰碑


 当宮の祠官で本名を靹彦といい鈴木高靹に就いて国典を学び
八幡隊に入り兄徳永秀之と共に山口に久坂玄瑞を訪ね、名を宮藤
主水と変じ共に京都に入った。

 元治元年(1864)6月5日地田屋に於いて吉田稔磨・杉山松助
等と倒幕を謀議中、新撰組に察知され六角の獄に囚われ翌慶応元年
6月4日斬殺された。享年42オ

   辞世の句
   いとはしな
   太刀のやきはにかかるとも
   かねてかためし大和塊


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拝殿

御祭神
 誉田別命(応神天皇)
 気長足姫皇后(神功皇后)
 奥津嶋比賣命、市寸嶋姫命,多紀津姫命(三女神)




拝殿

 御創建は宇多天皇の寛平三年(891)
 元禄三年(1690)社殿焼火す。
 元禄七年(1694)御神殿を再建、
 天明五年(1785)幣殿・拝殿を再建し今日に至る。















    飛座船石
 この大岩は寛平三年(891)佐々木徳寿丸が全国八幡宮の総本社
鎮西宇佐神宮に参籠、皇作延長・天下泰平・国家安全・五穀成就・
惣民豊楽を奉祈したる御神璽を供奉し、真尾八筈岳中程の伊勢山に
鎮祭し創祀とす。

 その後、六四三年を経た後、奈良天皇の天文二年(1523)八幡宮
の御神璽がこの大岩上に神変出現した為、久満佐渡左衛門尉重友が
寶殿を建立し移祭したと言う御創建縁の大岩である。





 飛座船石

 



 飛座船石説明


    飛座船石
 この大岩は寛平三年(891)佐々木徳寿丸が全国八幡宮の総本
社鎮西宇佐神宮に参籠、皇作延長・天下泰平・国家安全・五穀成就・
惣民豊楽を奉祈したる御神璽を供奉し、真尾八筈岳中程の伊勢山に
鎮祭し創祀とす。

 その後、六四三年を経た後、奈良天皇の天文二年(1523)八幡宮
の御神璽がこの大岩上に神変出現した為、久満佐渡左衛門尉重友が
寶殿を建立し移祭したと言う御創建縁の大岩である。





 


            



 











宇佐八幡宮 シャクナゲ園  
1999年に開設されたもので、4月中旬〜5月上旬になると
6種約560本の花が見ごろを迎える。








           

シャクナゲ園は拝殿の下参道の横にある





シャクナゲ園


シャクナゲ園





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