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山口県光市塩田石城2233 石城神社の紹介  2010-4-4  





山口県光市塩田石城2233     
  石城神社の紹介   
 2010-4-4 

   石城神社の祭神他
★鎮座地
山口県光市塩田石城2233 ★主要祭神
主神 大山祇神(おおやまつみのかみ)(本地釈迦如来)

配祀 雷神(いかづちのかみ(本地普賢菩薩),
......... 高おみの神(たかおみのかみ)(本地文殊菩薩)

境内説明板
  国指定文化財 建造物石城神社本殿 概要

指 定 明治40年5月27日  
所在地 光市大字塩田 

石城神社は延喜式内社で、由緒ある神社である。祭神は大山砥神 
(おおやまつみのかみ)・雷神(いかづちのかみ)・高おみの神 
(たかおみのかみ)で、武事・鉱山・農林の神をお祀りしている。 
旧号を三社権現といっていたが、明治元年石城神社と改称した。
石城神社の創建は明らかでないが、社伝によると、敏達天皇三年(574) 
の鎮座と言われ、天皇の勅額と伝えられる「石城宮」(いわきぐう) 
も保存されている。
本殿は、文明元年(1469)大内政弘が再建したものと伝えられている。 
桁行5.54m、梁間(はりま)2.85m、正面入母屋造り、背面切妻造 
り妻入り、こけら葺、四囲に緑をめぐらせた
春日造りである。柱面のとり方、勾欄(こうらん)のそり方、斗棋(とくみ)、 
蟇股(かえるまた)等に室町時代の特色を残している。 
大正十年(1921)解体修理、昭和58・59年(1983・84)屋根葺替を行う。
明治40年(1907)5月27日に特別保護建造物に指定され、 
昭和4年(1929)7月1日国宝に、同25年(1950)8月29日に重要文化財の 
指定を受けた。
平成19年9月 光市教育委員会

境内説明板

★文化庁監修の重要文化財によると
「石城神社本殿寺日造、一間社(一間に庇のつくもの〕身舎側面三間・ 
縁四周・組物出三斗庇連三斗中備華股・庇繋虹梁`妻木違格'身舎二軒 
正面飛槌打越二軒繁垂木・隅木入・春口造・こけら葺・後端間を内陣・ 
前面二間を外陣とし縁も後間のみ高く構える。
興股は特に秀作、室町時代文明元(1469)妻木人身舎1x3」と記載されている。
★神籠石について
石城山には、山の中腹から八合目あたりに巨石を環状・帯状に一列に 
並べ取り囲んだ土塁が施された史跡がありこれを「神籠石」という。
  石城神社の場所




  石城山史跡図





石城神社山門(仁王門)

塩田字石城山上にある。 
この山門は、もと神護寺の仁王門であったが、明治3 
年の廃寺により、その後は石城神社の随身門となる。
禅宗様式をとり入れた八脚門で斗杖のバランスもよい。
安政4年(1857)8月毛利敬親公が石城神社の拝殿とともに再 
建されたとあるが、様式から見れば18世紀末の建築とも 
いわれている。柱には第二奇兵隊士が、血気の余り切り 
つけた刀傷がある 





石城神社山門(仁王門)





ガラスで保護されている。





ここから石城神社参道





参道





石城神社山門を振り返る
















石城山第二奇兵隊士碑

石城神社社前にあり、元内閣総理大臣岸信介氏が昭和19年に石城山に 
登られ、第二奇兵隊を偲びたたえられて作詩されたものを、 
昭和39年に揮毫され同40年5月にこの碑を建立した。
第二帯兵隊を懐う
周東健児起って血盟す
回天の偉業雲を破って成る
千古の秘謎尚解く可し
誰か遺烈を承けて聖明に答えん
甲申春  岸信介










社号標>





  拝殿





本殿





拝社






拝殿

 



拝 殿 本殿

 


            

本殿


 

神籠石サミットは平成19年(2007)に開催された。





山頂からの景観






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