★鎮座地 山口県光市塩田石城2233 ★主要祭神 主神 大山祇神(おおやまつみのかみ)(本地釈迦如来) 配祀 雷神(いかづちのかみ(本地普賢菩薩),......... 高おみの神(たかおみのかみ)(本地文殊菩薩) 境内説明板
指 定 明治40年5月27日 所在地 光市大字塩田 石城神社は延喜式内社で、由緒ある神社である。祭神は大山砥神 (おおやまつみのかみ)・雷神(いかづちのかみ)・高おみの神 (たかおみのかみ)で、武事・鉱山・農林の神をお祀りしている。 旧号を三社権現といっていたが、明治元年石城神社と改称した。 石城神社の創建は明らかでないが、社伝によると、敏達天皇三年(574) の鎮座と言われ、天皇の勅額と伝えられる「石城宮」(いわきぐう) も保存されている。 本殿は、文明元年(1469)大内政弘が再建したものと伝えられている。 桁行5.54m、梁間(はりま)2.85m、正面入母屋造り、背面切妻造 り妻入り、こけら葺、四囲に緑をめぐらせた 春日造りである。柱面のとり方、勾欄(こうらん)のそり方、斗棋(とくみ)、 蟇股(かえるまた)等に室町時代の特色を残している。 大正十年(1921)解体修理、昭和58・59年(1983・84)屋根葺替を行う。 明治40年(1907)5月27日に特別保護建造物に指定され、 昭和4年(1929)7月1日国宝に、同25年(1950)8月29日に重要文化財の 指定を受けた。 平成19年9月 光市教育委員会 境内説明板 ★文化庁監修の重要文化財によると 「石城神社本殿寺日造、一間社(一間に庇のつくもの〕身舎側面三間・ 縁四周・組物出三斗庇連三斗中備華股・庇繋虹梁`妻木違格'身舎二軒 正面飛槌打越二軒繁垂木・隅木入・春口造・こけら葺・後端間を内陣・ 前面二間を外陣とし縁も後間のみ高く構える。 興股は特に秀作、室町時代文明元(1469)妻木人身舎1x3」と記載されている。 ★神籠石について 石城山には、山の中腹から八合目あたりに巨石を環状・帯状に一列に 並べ取り囲んだ土塁が施された史跡がありこれを「神籠石」という。
塩田字石城山上にある。 この山門は、もと神護寺の仁王門であったが、明治3 年の廃寺により、その後は石城神社の随身門となる。 禅宗様式をとり入れた八脚門で斗杖のバランスもよい。 安政4年(1857)8月毛利敬親公が石城神社の拝殿とともに再 建されたとあるが、様式から見れば18世紀末の建築とも いわれている。柱には第二奇兵隊士が、血気の余り切り つけた刀傷がある
石城神社社前にあり、元内閣総理大臣岸信介氏が昭和19年に石城山に 登られ、第二奇兵隊を偲びたたえられて作詩されたものを、 昭和39年に揮毫され同40年5月にこの碑を建立した。 第二帯兵隊を懐う 周東健児起って血盟す 回天の偉業雲を破って成る 千古の秘謎尚解く可し 誰か遺烈を承けて聖明に答えん 甲申春 岸信介