光稲荷神社の祭神他 |
光稲荷神社のゆえん |
今は昔、周防の国、大島郡三蒲(みがま)に弘法大師の弟子、基燈法師がおられた。 元慶9年(885年)頃の生まれで、己が生国伊予の大守 河野家の祈願所真言宗の一寺、松尾寺(しょうびじ)を承平6年(936年)に創建された。 大島郡が伊予の河野家の領分であった頃に次ぎの物語が残されている。 河野の殿様が美しい奥方を伴って、しばらく城に滞在されたことがあった。 ある日、家来をつれて文殊山(もんじゅやま)で狩りをされお城に帰ってみると、部屋に奥方が双子のように二人座っているあっとおどろいた。 だれか気をきかせて美しい女性(にょしょう)を旅のつれづれにはべらしたのだろうと、思ったのもつかの間、一人がすり寄って来て甘えるように、「殿、おめしもののお着替えを。」 と、白い手をさしのべると、もう一人の奥方も同じように、殿様の後ろに回り狩衣(かりぎぬをぬがせようとする。その物腰、声色までまったく同じ。 瓜二つとはこのことと感心してはおれず、困った。そこでどちらが本物か見破る方はないかと殿は思案した。 とっさに浮かんだのが三蒲の松尾寺の基燈和尚のこと。 弘法大師の弟子で高徳の僧として人々から崇(あがめられていた。 基燈和尚は時ならぬ殿様の訪れに、何事ならんと出迎えたがわけを聞くと声を立てて笑いこんどはムニャムニャと口を耳につけて秘法を授けた。 夜になった。家来に命じ殿は二人の奥方を一つの部屋に寝せた。 とぎの声もかからないので、不満そうな奥方たちも、いつの間にかスヤスヤと眠った。 そのとき、ふすまの一隅がわずかに開き、ひそかに集められていた、数十匹のハエが放たれた。 ハエは二人の奥方の寝姿を襲う。それとは知らぬ一人は手で顔に止まったハエを払う。 今一人はなんと器用に耳をピクピク動かしてハエを寄せつけない。 この様を息を殺して隣室からうかがっていた侍女の一人が、殿様に知らせた。 耳を動かした方の奥方がしばりあげられた。 「ギャア」と悲鳴を上げ、キツネが正体を現した。 「こらーよくもわしをだましたな。成敗(せいばい)してくれようぞ。」怒った殿様だったが、「一度あなたのおそばに化けて出てみたばっかりに」と、 あわれみを乞(こ)う女(め)ギツネに、殿は哀れみを覚え、早々にこの地から立ち去ることを命じた。 その後、殿様は三蒲の小山田の小さな山かげに稲荷社を建て、祀ったという。 その狐は基燈法師に帰依し、姿はともに大きく石に現われ、良い狐に なって神につかえ光市の稲荷社に祀られている。 現在の光稲荷神社の宮司が基燈法師の子孫にあたられる。
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