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光市室積室積半島
  村尾稲荷神社の紹介 
 2009-9-9

  村尾稲荷神社について

  元文(げんぶん)3年普賢寺内の稲荷社を御立山のふもとに建てた。
普賢寺の中では、藩の御手普請寺で、普通の者が出入り出来ず移転した。
[海商室積の歴史探訪会 三谷博雄氏資料による

 元文(げんぶん)について

元文(げんぶん)は、日本の元号の一つ。享保の後、寛保の前。1736年から1740年までの期間を指す。
この時代の天皇は桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。
元文期におきた出来事
元年(1736年)
5月 大岡忠相の建議により貨幣改鋳。文字金銀の発行。
8月 大岡忠相が寺社奉行に転身。
4年(1739年)2月  鳥取藩において元文一揆が発生、因・伯合わせて約5万人が参加し、藩政史上最大規模の百姓一揆となる。
4年5月 - ロシア帝国海軍ヴィトゥス・ベーリングが派遣した探検船が日本の仙台湾・房総半島などに来航(元文の黒船)。
[出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による





























光市室積室積半島 村尾稲荷神社の場所




感 想
小さな稲荷社。少ない情報でも集めて記録を残したいと調査した。三谷博雄氏に聞いたがこれ以上はないとのことである。
普賢堂で三谷さん(82歳)と2歳違いの奥さんにもお尋ねしたが、普賢堂から移した以外わからないと言われた。
また、現在普賢寺は全く関与していないと言われた。
村尾稲荷神社の管理は綺麗にされており感心した。



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