山口県光市室積市延森様社叢(九ノ辻の森)  九の辻の石祠の紹介 2009-8-2  




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山口県光市室積市延 森様社叢(しゃそう)(九ノ辻の森)
九の辻の石祠の紹介 
 2009-8-2

九の辻の石祠について

この社叢の中心をなすものは、ムクの木の大木です。
享保18年 (1733年)、室積一帯は大飢饉に襲われ、悲惨を極めました。当時 孝心深いクノという村娘の悲話(長い煩いで床に伏す老父を助けよ うとして、隣村のお米蔵に忍び込んでしまう)にまつわる伝説もこの 森に残されている。
昔は、この森に古い社があり、五穀豊穣と、家内安一全を祈る村人 の信仰の森でもありました。その故に森様とこのあたりでは呼んで、 大切にしている。
[室積探訪参照]


九の辻物語 民話伝説について

これは享保18年夏5月の話しである。この年は西日本全体体がひど蝗害をうけ・大飢饉のうえに悪疫が流行して、 室積の町だけでも数百人が飢えと病のため惨めな死をとげたという。
いや、そればかりではない。その年の2月18日には思いもよらぬ大火災が起こり、 226戸の民家が無惨にも焼失してしまった。
この「九ノ辻物語」というのは、こうした厄年故にこそ起こったともいえる忌わしい恐ろしい事件である。

「九ノ辻」というのは室積の東ノ庄と市延の境界にある小高い丘の名である。
そのころは昼でも狐や狸がさかんに出没する気味の、悪い場所であったが、ここでクノという19になる村娘が、 隣部落の米倉にしのび込んで、籾種一升ばかりを盗み取ってきたところを新門の由造という男に見つかり、激しい折濫の後、 ついに打ち殺されて顔の皮をはぎとられ、道端の石に張りつけられるという誠に残虐な事件が起こった。

当時、長州藩では各地に米倉を設け、籾種を貯蔵していた。由造はその米倉の一つを預っていた「お米倉目付」で、 田畑も一町歩近く持っていた裕福な百姓であったが、それにひきかえ、クノの家はその日その日の生計もたてがたいほどの貧農で、 年老いた父や母の養育もクノの手ひとつにかかっていた。

顔かたちこそ十人並みであったが、気だての優しい、おとなしい娘であったから、 きっと年老いた両親を飢えから救いたい一念で盗みを働いたのであろう。
さて、クノの悲しい野辺の送りがすんで、村にはやがて忙しい田植の季節がやってきた。
村人たちはいつのまにか彼女のことなど忘れてしまったかのように、毎日を気忙しく立ち働いていた。
クノの両親は隣組のよしみから、留蔵の家で面倒をみてやることになった。
ところがある日のこと、由造の家の牛と馬が、ぽっくりと得体の知れない死に方をした。 そればかりではない。新門の本家と新宅の老夫婦が全く同じ日に忽然と息をひきとり、村のあちこちでは牛馬の頓死が相ついだ。

村人たちはこれをクノの亡霊の仕業と信じこみ、クノが非業な死をとげた辻には、夜な夜な幽霊が出るという噂までもたってきた。
「そんな馬鹿なことが」と、初めは気にもしなかった留蔵であったが、それがある夜、クノの幽霊をその目ではっきり見たというのである。

その夜は、まるで春のような陽気が大峰の山腹一帯に立ちこめていた。
留蔵はその日、割木造りに大峰へ一人で登っていったが、どうしたことか、その日は一向に仕事がはかどらず、 いらいらしながら日暮になってしまった。

そのうちに雨さえも降ってきたので、留蔵は仕事をきりあげて割木を負子に縛りつけ、雨夜の峠道を一歩一歩と下っていった。
するとどこからか、ふと女のすすり泣く声が聞え、「留さん、お願いです。私を助けて下さい 。…私の体を自由にして下さい」と訴えるのである。

それは、まぎれもなくクノの声で、どこにも姿は見えないが。「…留さん、私は殺されたクノです。お父っあんやおっ母さんの 面倒をみて下さって本当にありがとう。私は今夜は下の溜池で、悲しい死に方をした女の一念を晴そうと思って出てきました。
これからどんなことが起こっても、あなたは決して手出しをしないで下さい。知らぬ振りをしていて下さい。

もしあなたが私の頼みをきかないときは、あなたの命も貰います。どうかお願いです」という。
留蔵は歯の根も合わない有様で、ふるえる足を踏みしめながら山道を下って行くと、誰か下から登って来る ものがある。こんな雨の夜道を一体どこへ行くつもりかなと、闇をすかして見たがその人の姿は定かには見えなかった。
留蔵はいつのまにか溜池の側に出ていた。下から登って来る者との距離は次第にせばまる。

留蔵は急に元気をとりもどし、その人に声をかけようと口を開きかけたときである。
突然、眼の前がボウッと明るくなって、まつ白な着物に髪をふり乱した女がフワーつと立ち現われた。
その背格好は明らかにクノに相違ない。 「---由造さん、よく来ましたね。私は待っていましたよ。さ、こちらへお出でなさい。」登って来たのは新門の由造だった。
「…-お風呂の湯加減もよいようです。さ、こちらへきて、着物をおぬぎなさい。」
由造はいわれたとおりにフラフラと帯を解き、着物をぬいで土手へ上った。留蔵はガタガタふるえながら、 その場の成り行きをじっと見守っていた。

と、突然白装束のクノが由造の背後から力まかせに、どんと彼の体を突きとばした。由造ははずみを喰って、 まっさかさまに池に落ちこんだ。
留蔵は思わず背中の負子をその場へ放り出し、土手へ駆け上がる。 「留さん、いけません。手を出してはなりません!」

クノの声には犯しがたい厳しい響がこもっていた。とたんに留蔵は釘づけされたようにその場に仁ちすくんでしまったが 、池の面を見ると由造が死にもの狂いで岸へ泳ぎつこうともがいている。

留蔵は思わずカッとなって、「クノ!どうしてこんなことをするのだ。お前が受けた責苦のつらさはわかる。
そのためにお前が成仏できないというのなら、このわしが、どんなことでもしてやる。だから由造の罪は、わしに免じて許してやってくれ。頼む。これ、この通りだ。」 留蔵は土手に両手をついて叫んだ。

すると、クノもいつしか悲しそうに鳴咽をもらしながら、「わかりました。留さんがそんなにまでいうのなら、由造の命はとりますまい。………そのかわり辻のそば に私の墓を建てて下さい。」
留蔵は急いで、池のなかでもがき片しんでいる由造を土手の上へ助け上げた。
由造は留蔵の手を固く握って、荒い息の下からこういった。「許してくれ、わしが悪かった!」
クノは留蔵を振り返ってにっこりと傾き、そのままフーツと闇のなかへ姿を消していったのであった。
[九ノ辻物語 光市史 昭和50年3月31日発行]


森様社叢のスナップ写真



森様社叢のムクノキ光市の名木に指定
ムクノキ(指定番号41)   ニレ科
樹高:21m 推定年齢 不明1983年「森様社叢」
として光市の天然記念物に指定された。
毎年多くの果実をつけ、10月に果実の6割が黒塾
しヒヨドリが多数集まりつつくとのことである。




森様社叢の説明板









森様社叢(九ノ辻の石祠)


森様社叢(九ノ辻の石祠)ムクノキに根元に鎮座





九ノ辻の石祠



ムクノキの巨木の根元に鎮座





ムクノキ


光市名木100選のクスノキ(指定番号42)
クスノキ科
   森様の境にある2本立ち
樹高:23m 推定年齢 不明
数百m先から見える巨木で均整の取れた立派な木である。



<クスノキ

               




山口県光市室積市延森様社叢 九の辻の石祠の場所





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