山口県光市室積室積市延千坊山中腹  愛宕さまの紹介 2009-8-2  
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山口県光市室積室積市延千坊山中腹
 愛宕さま(愛宕大権現さま)の紹介 
 2009-8-2

愛宕さまについて


 愛宕さまは京都の愛宕神社より如宝寺に勧請された。
 それを時期は不明であるが室積市延森様の地に祭った。鳥居には如宝寺住職の名前が 刻まれている。

 従って愛宕様は如宝寺と森様の2箇所に祠がある。
 如宝寺の管理の下にある。

 毎年7月15日地区の方が、幟を立てて、如宝寺住職がおつとめをされている。

 市延部落の3人の当屋の方がお祭りの計画をされている。

[如宝寺の加藤住職にお聞きした。]


【頭屋】/ 【当屋】
神社の祭祀や講において、神事・行事を主宰したり世話したりする人。 また、その家。年ごとに輪番制で交替する。


京都市愛宕神社(あたごじんじゃ)について

 全国約900社の愛宕神社の総本社である。旧称阿多古神社、通称 愛宕さん。
 古くより比叡山と共に信仰を集めた。古くから火伏せ・防火に霊験のある神社として知られる。

 3歳までに参拝すると一生火事に遭わないと言われる。また、上方落語では「愛宕山」「いらちの愛宕詣り」という噺が存在する。

 「火廼要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は殆どと言ってよいほど京都の家庭の台所に貼られており、
 飲食店の厨房や会社の茶室などにも貼られていることが多い。

現在は以下の神を祭神としている。
本殿
伊弉冉尊(いざなみのみこと)・埴山姫神(はにやすひめのかみ)・天熊人命(あめのくまひとのみこと) ・稚産霊神(わくむすひのかみ)・豊受姫命(とようけひめのみこと)
[ウィキペディアオープンコンテントの百科事典参照]


京都市愛宕神社(あたごじんじゃ)の歴史について
大宝年間(701年-704年)に、修験道の祖とされる役小角と白山の開祖として知られる泰澄によって創建された。
天応元年(781年) に慶俊僧都によって中興され、和気清麻呂に愛宕山に愛宕大権現を祀る白雲寺を建立したと伝える。
9世紀には神仏習合の修験道の道場となっており、本殿に愛宕大権現の本地仏である勝軍地蔵、奥の院(現在の若宮)に愛宕山の天狗の 太郎坊を祀っていた。
明治の神仏分離により白雲寺(勝地院、教学院、大善院、威徳院、福寿院等の社僧の住坊があった)は廃絶されて愛宕神社となった。
[ウィキペディアオープンコンテントの百科事典参照]

如宝寺の末寺でありながら神社の鳥居があるいわれがわかった。




 室積あれこれ今昔物語 公民館だより
「願えば叶う」愛宕さま

 大峰山のふもと、室積市延の小高い所、森さま社叢の下段に、愛宕さまがあります。
 毎年七月十三日(現在は直近の日曜日)は、愛宕大権現さまの夏祭りです。

 その昔、大峰峠を越えて、田布施まで竹の高張竿を買いに行き、それに大提灯をつる
すのが、市延少年団(現在の子ども会)の夏祭りの重要な役割の一つでした。

 その祭りの準備が終わると、子ども達は、愛宕大権現さまの祠の後ろにある大きな山桃
の木に代わる代わる登ります。そして、山腹にある奥の院に向かって、「僕は漢字が覚え
られません。毎日、漢字を千字ほど書くことを誓います。」などと、自分の願や決意をできる
だけ大きな声で叫ぶことにしていたのです。

 実は、市延自治会の子ども達は皆、ここの愛宕さまは「願えば叶う」とてもありがた
い権現さまだということを知っていたのです。

 (注 祠の後ろの山桃は二代目です)

           室積市延 佐久間源治氏
[室積公民館便り 公民館室積1 平成23年1月25日 NO.475]




光地方史綿谷廣吉氏撮影

山腹にある奥の院



山腹にある奥の院


愛宕さまのスナップ写真



森様社叢の説明板




森様社叢(九ノ辻の森)の祠




森様社叢から愛宕さまへおりる階段




愛宕さま(正面)


愛宕さま(裏側より)





愛宕さま



鳥居(天明7年(1787年)の文字が見える)



鳥居


正面


裏側



如宝寺

               

如宝寺の愛宕さま
  



如宝寺の愛宕さま(住職に案内して頂いた)


如宝寺




山口県光市室積室積市延千坊山中腹  愛宕さまの場所





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