光市室積村804番地 磯辺八幡宮の紹介  2009-3-24 




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光市室積村804番地
磯辺八幡宮の紹介
2009-3-24

[磯辺(礒邊)八幡宮の由緒]

磯辺八幡宮の前身は、「正八幡宮」と称し、農神とされる荒神を現在地に祭り、部落の氏神としていた。 寛永年間(1624〜一1643)以前は、伊保木以東の村は、麻郷麻里府に所属し、高松八幡宮の氏子であった。

寛政8年8月(1796)光格帝の代、風土注進案に示す事情により、高松八幡宮の御分身を当地にまつり、 当初は高松八幡宮を号すという。後に磯辺八幡宮と号し、独立するようになったが、宮司は世襲的に高松八幡宮宮司 金長家が兼務して現在に及んでいる。明治6年10月村社に列した。

[火災により焼失と再建]
大正13年(1924)12月8日、火災のために神殿、拝殿ともに焼失した。
再建は昭和2年(1927)4月である。


[御鎮座二百年祭]
平成8年(1996)5月2日〜4日には御鎮座二百年祭が開かれ、氏子110戸をあげて稚児行列や神舞などの奉祝行事があった。

[例祭に伴う行事]
大はけ(大鳥居のしめ縄)の架け替えを、毎年秋祭りに間に合うように作成する。

[山まき]
お宮の領域を示し、悪を締め出し清めるために、しめ縄(新藁で約二百尋)を毎年元旦に間にあうように張り巡らす。 12月15日 しめ縄のお祭りをしたものを朝暗い内に行う。 

[毎年の行事]
春祭り  5月10日頃 祈念祭,慰霊祭 
夏祭り  7月20日  社殿祭 田頭祭
秋祭り  9月27日  前夜祭   
      9月28日  秋祭り
冬祭り 12月10日頃  新嘗祭

[高松八幡宮について]
高松八幡宮の御分身が磯辺八幡宮にまつられている。

[高松八幡宮]
鎮座地 :熊毛郡田布施町大字麻郷2535番地

御祭神 :(主祭神)誉田別尊 比売神 大帯姫命(配祀神)天照皇大御神 足仲彦命

平安時代の仁和3年(887)に、豊前国宇佐八幡宮より分霊を勧請し、金長七郎が高松山の麓に奉斎する。

その後国司尊崇の神社として崇敬を享け、鎌倉時代の貞応元年(1222)から御神幸が始まった。

戦国時代の文明17年(1485)、大内政弘が本殿・拝殿・回廊等を造営する。
永正10年(1513)に社殿葺替えと釣屋の造営があり、 天正5年(1577)に本殿・釣殿が再建された。

江戸期に入り、寛文9年(1669)に拝殿再建、元禄10年(1697)には社殿造営 、享保7年(1722)には拝殿が新たに造営された。

正徳・享保(1711〜)の頃から明治初年まで、上関宰判の勘場が当地にあったこともあり、郡中の祈願所として、五穀成就・ 祈雨止雨・武運長久等の祈願祭を斎行したので、代官・郡中の庄屋・畔頭等の参拝が多かった。

文政8年(1825)に御殿造営、文久2年(1862)に釣殿・拝殿が再建された。

明治6年(1873)、郷社に列せられ、明治22年(1889)には本殿が再建され、大正13年(1924)には幣殿・拝殿を再建し 、祓舎・神饌所を新に造営する。

昭和15年(1940)、皇紀2600年記念事業として、氏子の勤労奉仕により神社林を造成し、 青年団の勤労奉仕で境内地及び遙拝所の整備をする。

[山口県神社庁ホームページ]







磯辺八幡宮(2009年)

入口石段前の海


入口注連柱(しめばしら:しめ縄をつける石柱 )










入口石段前の海

           


大鳥居


石段













磯辺八幡宮


磯辺八幡宮











管理家屋

               



裏側





横側

                 










               




光市室積村804番地 磯辺八幡宮の場所



磯辺八幡宮の調査について。
光市室積伊保木地区の神社・お寺について調べた。
ふるさと郷土館等でお聞きしたが、過去伊保木地域は 室積地域でなく田布施に含まれていたとのことで、伊保木地区の 資料は皆無であった。地域の方に情報を頂きまとめた。 室積に詳しく歴史を調べておられる方も、伊保木についての資料はないと言われた。



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