山口県光市光井818番地 八海観音堂の紹介 2009-2-7   ・・
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山口県光市光井818番地(八海)
 八海観音堂の紹介
2009-2-7  

[ 光有形指定文化財  ]

八海観音堂に光市の有形文化財がある。


[八海観音堂の鰐口について ]

光井の最北端の八海に、光井浴の梅昌山玉泉寺(臨済宗)抱の観音堂がある。
寛保元年(1741)に書かれた玉泉寺旧記(寺社由来)によると、この観音堂
は、古くは同地にあった船石山福泉寺の抱で、本尊は聖観音の座像、開山は金
峰大師、堂の規模は敷地が3間半四方・建物は2間四方に縁が四方にあり、四
方が開き戸となっていて、宝物として鰐口が掛けてあったとある。

鰐口は寺院の堂前につるされ、参詣者が布で編んだ綱を振って打ち鳴らす扁
円形・中空で、下方に横長の口がある金属性の法楽器である。

乙の鰐口は鼓面の直径約3仰の銅製で、次の銘文が刻まれている。表面中央
上部に阿弥陀如来を主尊に観世音菩薩・勢至菩薩を脇士にした弥陀三尊の梵字、
左側に奉懸潮音寺御宝前鰐口之事、右側に右祈念者大檀那各人現世安穏後生
善処者也、裏面左側に具一切功徳慈眼視衆生福聚海無量是故応頂礼、右側に
干時永正十七(1520)庚辰卯月願主沙門敬白とある。

これは大檀那となる数人が、現世では安穏であり、後世では善い世界に生ま
れることを願って奉納したものに、潮音寺の住職沙門が、観世音菩薩の功徳を
説いたものか、あるいは観音経の一節を付け加えたものが、裏面左側の銘文で
あろう。

その意味は「あらゆる功徳をそなえ、いつくしみの眼をもって衆生をながめ
ると・無量の福の海となるのです。このためつつしんで観音さまに敬礼し奉り
なさい。」という。

今日では福泉寺・潮音寺などの寺院はないが、前述の玉泉寺旧記には、昔は
このニケ寺があったという。また、伊保木の慶宝寺の長慶庵旧記(寺社由来)
に・浅江の潮音庵の名が見えることから、潮音寺はこれをさすともいわれる。

いずれにしても潮音寺・福泉寺は大檀那となる光井氏など戦国武将の盛衰によ
って寺運も左右され、光井氏の滅亡とともにこれらの寺院も廃寺となり、仏具
の一部が観音堂に移され地元の人達の暖い保護をうけて今日に伝わったもので
あろう。
昭和51年7月、平成3年3月20日に光市の文化財に指定された。





-------工芸品 の鰐口--------
昭和51年7月14日指定
鼓面直径3.5cmの中型の銅製鰐口である。
肩の部分で表裏を合わせて鋳造し、この部分に型を合わせ
た継ぎ目が見える。

鼓面は撞座区、中区、銘帯の三区に分かれ撞座>区は無文
であるが、表裏の銘帯に陰刻の銘文がある。

この銘文によると、この鰐口は永生17年(1520)4月、潮
音寺の信徒衆が各人の現世安穏と後生善処を祈念して、
潮音寺の御宝前に奉納したことがわかるがその後潮音寺か
ら、いつ、どのような経緯で八海観音堂に伝存するよにな
ったか明らかでない。
昭和54年1月31日
光市教育委員会

 
--説明板転記--
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道路からは木立で見えない。


             

           


道路から近い。                八海観音堂


 鰐口の説明                 西から見た観音堂



東から見た観音堂

 

                 










                 









■光井八海の鰐口
市指定工芸品
●指定年月日  平成3年3月20日

鼓面ふくらみが少ない小型の鰐口で、肩、胴の中央線に表裏の鋳型を合わ
せた跡が突起となって残っている。
肩の左右に比較的大きな耳が突出し、鉄製の吊環を付帯している。また、
耳の下には筒状の目が突き出て、目から下方は口の部分となっている。
撞座区・中区・銘帯に細い隆起圏線をめぐらして3区に分かち、撞座区・
中区とも無文である。銘帯には表面に「敬白奉鋳鰐口一口冨田保/四熊生原
浄土寺」、裏面に「應永三十年癸卯六月一日/願主善祐敬白」と陰刻している。
この銘文から、鰐口は室町時代中期の応永30年(1423)に都濃郡富田保四熊
生原(現在の徳山市庄原)の浄土寺に寄進されたものであることがわかる。
途中現在地に移された経緯については明らかでない。浄土寺及び願主の善
祐についても未詳である。  
鼓面径 18,7cm  厚さ  6.0cm  青銅製  

[光市教育委員会ホームページより]





■光井八海の鰐口
市指定工芸品
●指定年月日  昭和51年7月14日
●場所      光市光井
青銅製の中型鰐口で、肩の左右に突き出た耳に鉄の輪を通して釣りさげる。
釣環の下方の目は、胴の付け根から水平に突き出て、直径4.3cmの円筒形
をなし、開口部は2.0cmと狭く、その縁の唇は平板である。 鼓面は、2、
3重の圏線によって撞座区・中区・銘帯の3区に分かれ、撞座区と中区は
無文であるが、外側の銘帯には表裏とも刻銘がある。
表面上部に阿弥陀三尊種子を刻し、「奉懸潮音寺御宝前鰐口之事」(左側)
「右祈念者大檀那各人現世安穏後生善處者也」(右側)とあり、裏面には
「具一切功徳慈眼視衆生福聚海無量是故應頂礼」(左側)、「干時永正十七
庚辰卯月吉日 願主沙門 敬白」(右側)とある。永正17年(1520)、潮
音寺に寄進された鰐口がどのような事情で八海観音堂に移されたかは定か
でない。  
鼓面径 33.5cm  厚さ 10.8cm    
[光市教育委員会ホームページより]




山口県光市光井818番地 八海観音堂 の場所



今回初めの訪問である。
鰐口は保管されおり外からは見えなかった。
光井の方でも知らない方がおられるようで、意外に時間がかかった。



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