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山口県光市小周防1628番地
 橿原神社の紹介
 2008-3-24



橿原(かしはら)神社の社伝の由来

歴史 由来  

橿原神社は社伝によると奈良時代の和銅三年(710年)紀州牟妻群(和歌山県)
にある神社から神霊を分かち勧請したとある。
その神社の名前は明らかでないが、紀州の熊野権現に関係があり、その蔡神の
若一王子を祭っている神社であろう。
そこでこの若一王子を祭ることによって、社名を王子権現として鎮座の地を王
子と呼ぶようになったのである。
昭和56年(1982)式年蔡を斎時行し、社殿の大修理を行った。

神社の祭神  
そして、いつの頃か蔡神が神日本磐余彦天皇(かんやまといわれひこのすめら
みこと)(神武天皇)に替わり島田の十二社大権現(現熊野神社)の末社となり、
明治4年(1871年)に橿原神社に改称された。  

主要祭典  
田頭祭(4月11日) 秋季例祭(10月11日)
 

鬼彦兵衛の足跡 
鳥居の右側台石には長さ40cmと30cmの凹みが2個ある。子の凹みは鬼彦兵衛
神霊を持ち帰り十二社大権現を建立した後の彦兵衛の愛称)の足跡だと語
り継がれている。

建 物  社 殿 
本殿-------流造  幣殿----平屋造  拝殿-----入母屋造

境内建造物 
境 内 地  52坪
鳥    居  石造 元文4年(1739年)
灯籠一対  石造 延亨2年(1745年)
狛犬一対  石造 慶応2年 (1868年)

参考資料 

(防長寺社由来・光市史跡探訪第2集・山口県神社誌平成10年3月25日より)

 

  橿原神社の配置図



  橿原神社の場所



  橿原神社の場所付近詳細




鳥 居  天文四年(1739年)。



鬼彦兵衛の足跡



本 殿


               


本 殿


狛犬 慶応2年(1868年)


               


 燈籠 延享2年 (1745年)


狛犬 慶応2年(1868年)。



 橿原(かしはら)神社の社伝の由来




               






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神武天皇東征の道 (伝説)  


光市三井や光井を平定した神武天皇は、島田川をさかのぼって行き,
やがて上陸した所は、現在のJR島田駅の辺りである。
下図の進行推定経路がこの道であると証明しているのが、
柿本明神社と橿原神社である。
さらに、道沿いの寺院がこれより先の進行経路を先導していき、その最初と
なるのが安養寺と永明寺である。
(ホームページ海風想より)




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