ご本尊
宗 派
宗 旨
お寺の歴史
観世音菩薩座像(11面観世音菩薩像、伝行基菩薩ノ作、1説には
弘法大師作と伝承されている。)
本山は南禅寺で詳しくは、臨済宗南禅寺派一等地梅昌山玉泉寺
である
禅宗の中の臨済宗であり、お釈迦様の悟りを仏心と言い、その仏心を
信じ又坐禅によって心と身体を正し安心を得ようとする宗旨である。
玉泉寺は知覚周大和尚(応永23年2月11日寂)によって開かれた。
寺伝に当寺開創は応永三年(1396年)3月18日鎌倉建長寺黄衣知
覚周大和尚によると有る。
室町時代一休禅師(1394年〜1481年)の生まれたころで今から
596年前である。
三代将軍足利義満が出家し北山邸を造営し金閣寺舎利殿を
造った頃である。
さらに寺伝に『開創創年より当丁亥年往昔建長寺末派に
して寛文7年丁未(1667年)3月因国主の
命南禅寺派下長門萩天樹院へ付属す、天樹二世帷天和
尚當寺六世才雲和尚の代、その後明治4年辛未(1871年)の
年御改正広厳寺廃寺その瑚瑞応寺へかの寺より依頼に相成り、
因って當今瑞応寺に属す。
然れども明治19年(1886年)4月本山南禅寺行事局員牧護
庵住職石束誠翁殿派出の瑚住職進退の外総じて本山直
達願い本寺に於いても無異議承諾奥書相成り候う……
拙僧に到り連綿仕候當寺二世雪窓和尚京都真如寺西堂・
三世より六世まで建長寺前版職位七世
より十四世に到り南禅寺前版職位軍寮墨衣の身分に而
十五世増官東堂職ござ候う也』とある。
つまり智覚和尚から七世録堂柳公和尚まで建長寺派に
属し八世南渓和尚から南禅寺派に属し今日に至ってい
ることになる。
本 堂 7間4方屋根茅葺トタン葺(天保五年大修理)
玄 関 3間×2間(天保五年午2月)
庫 裏 5間半×5間半(昭和四十年台)
薬師堂 開山堂2間×2間半伝来の古堂明治十九年6月修理
鐘 楼 明治五年3月再建(昭和五十六年瓦葺替、昭和二十九年鐘引)
山 門 明治十二年3月再建
玉泉寺山門
玉泉寺本堂
光市名木カイズカイブキ 鐘楼
他所から移された。
玉泉寺遠景
山口県光市光井四丁目 玉泉寺の場所