山口県光市室積金山
江谷金毘羅宮の紹介
2008-3-18
金毘羅とはインドで興ったものがわが国に伝わり金毘羅大権現になった。
四国にある金毘羅宮が松尾寺という寺院に推定450年前に寺の守護神
として金毘羅さんを迎え入れた。象頭山の名もインドの金毘羅山の名を
そのままつけ、海上安全の神として金毘羅信仰がかたちづけられた。
金山にある江谷金毘羅宮もその当時作られ、推定450年経過と思われるが記録は無い。
現存する鳥居には天明久酉正月吉日(1789年)と掘り込まれた文字が残っている。
従って、現在残っている鳥居の柱は1789年)219年前に建立されたことになる。
(天宝12年1841年)の記録が残されている。
金毘羅社
御立山金山ニ有
御殿 石祠
拝殿 桁行壱間梁行同断瓦葺
造營年不詳
現時点で確認できる年代は
鳥居の天明久酉正月吉日(1789年)が最も古い。
大正末から昭和の初め、小さな拝殿(おむろ)があり、その前で、
人形芝居、神舞がおこなわれた。
昭和10年前後木材を出し合い、3畳ぐらいの座敷と拝殿を作った。
その前に板で座敷を作り神舞や太鼓を吊り下げ盆踊りを行った。
戦後大修理が行われ、木造建築の威容をほこり美観を呈していた。
その後腐食が進み応急補修で対処してきたが、
シラアリ、台風19号で損傷し地面に鎮座となった。
御社頭整備建立事業が推進され奉賛会が結成し募金活動が開始され、
平成9年10月12日(1997年)金毘羅宮神殿において竣工報告祭が開催された。
ステンレス製の神殿である。
蔡神は大物主神で@海の守り神A雨乞いの神様として農業、
漁業の方の信仰を集めてきた。
明治以降は神仏集合が廃止となり大物主神と崇徳天皇を蔡神とする神社になった。
古くから風鎮の神として崇教者により管理維持がされ推定450年の歳月が流れている。
以前は金毘羅講という決められた人で管理されていたが、
高齢化等で管理が出来なくなり
現在は中西ノ庄自治会で自治会長が中心となり管理されている。
月に2回当番をきめお札の交換、榊を取り替える等の管理がなされている。
7月9日を金毘羅の日と定め中西ノ庄自治会で清掃等の行事が行われる。
夏祭りの御田頭祭に合わせて早長八幡宮宮司のお払いを受けている。
中西ノ庄自治会長吉岡邦男氏に見せて頂いた。
金毘羅宮の建立趣意書、金毘羅宮竣工報告祭開催について(H9-10-8)、古老の話