山口県光市室積 普賢寺の紹介 2007-11-05 ..
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山口県光市室積
普賢寺の紹介
2007-11-05 
普賢寺のはじまり
普賢寺は平安の昔,兵庫県書写山円教寺(しょしゃしんえ
んきょうじ)の開祖、敏速(びだつ)天皇の後裔(こうえい)
性空上人(一乗妙行性空悉地菩薩)により創建され、天台宗
としてその歴史が始まる。

性空上人は法華経の信仰厚くその中に説かれてある法
華経信仰者の守護佛である普賢菩薩をお祀りしたいとの強
い思いから、ここ港町室積の地で御手洗湾から揚がられた。

長い間念願の普賢菩薩をお祀りすることができたのである。
当時千坊山は東千坊を天台宗が、西千坊を真言宗が開いた
とされ、よって普賢寺も東千坊で開基されたものと推測さ
れている。

藤原氏から寄進され石清水社領の荘園となってからも藤
原氏一族(武ノ下氏)が荘官となり統治され、普賢寺は武
ノ下氏の菩提寺となり当時大宗山中から市延に移築され
て、室町の後期となって、より広い境内地をもとめて峨
嵋山山麓の現在地になったと考えられる。

天台宗から臨済宗への改宗は約八白年前に禅が渡来し、
栄西禅師により京都に建仁寺が創建された1202年の直後
であったと伝えられる。


普賢寺44世住職 桝野象堂氏

公民館だより 平成19年10月25日 No.436





仁王門


口を開いた阿形の密迩金剛神


口を閉じた吽形の那羅延金剛神



           


鐘楼                普賢堂

普賢堂


 

 

                 


 


平判官康頼の碑              雪舟庭案内



普賢寺


普賢寺庭園                  


赤門(開かずの門)毛利家重臣用          雪舟庭入口       


雪舟庭  


雪舟庭

赤門(開かずの門




 



 




普賢寺全景               迷い子石



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