山口県光市浅江 清 鏡 寺(真言宗)の紹介( 2004-5-7 )  ・・
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山口県光市浅江
清 鏡 寺(真言宗)の紹介
2004-5-7

[ 真言宗 清鏡寺の由来]  
古くは吉祥寺と称した。後に毛利藩寄組士立野村給領主清水士の先祖で
天正十年(1582)羽柴秀吉の高松城の水攻めで知られる備中国(岡山県)
吉備郡高松城の城主清水宗治の菩提寺となり宗治の法名(高松院殿救溺
祐君清鏡宗心大居士)によって山号を高松山、寺号を清 鏡 寺と改めた。
今もなお、清 鏡 寺には宗治に位牌が安置されている。
境内の裏側には嫡子景治が建立した宗治他高松城で殉死した家臣らの
供養塔があり寺宝として宗治の乗鞍、高松城の陣鐘がある。

昭和51年4月1日
光市観光協会


秀吉の水攻めを受け自害した備中高松城々主清水宗治の嫡子・景治を
関ヶ原後、毛利家は重臣として迎え、光市立野付近に領地を授けた。
清鏡寺は宗治の菩提寺で、陣鐘や鐙が奉納されている。

[ 青水宗治主従の供養塔]  
光市指定有形文化財(建造物)
昭和58年7月28日指定
この供養塔は玉垣の正面奥に宝篋印塔一基と石殿三基、左側に宝篋印塔
三基右側手前に,宝篋印塔の基壇を配置している。石質はいずれもも安、
山岩で形態彫成技術とも近世初期に代表されるものである。

正面奥の宝篋印塔は、高さ一四四センチの中型の完存品で、基礎の格狭
間に金剛界の四方仏種子を刻しており,高松院殿救溺祐君清鏡宗心大居士」
(たかまついんでんきゅうじゃくくんせいきょうしゅうしんだいこじ)(宗治)
のものと思われる。

天正10年(1582)秀吉の水攻により備中高松城(岡山市高松)で没した
清水家方主従の死を悼みこれを追善供養するため宗治嫡子景治が、菩提寺
である清鏡寺に建立したものである。

昭和58年9月1日
光市観光協会 、





清 鏡 寺山門


山門から本堂を望む


周南七福神標識              本堂              

           


清水宗治主従の供養塔入口             通路


 清水宗治主従の供養塔              分かれ道


円形に地蔵尊配置


 浅江神社 シャクナゲ園がある

                 


地蔵尊


清水宗治主従の供養塔の説明板



 清水宗治主従の供養塔  [光市指定有形文化財(建造物)]


 清水宗治主従の供養塔  [光市指定有形文化財(建造物)]                  


          


  真言宗 清鏡寺の由来説明板       重厚な山門




 山口県光市浅江 真言宗清鏡寺の場所      





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