光来山長安寺の由来
室積東ノ庄にあり光来山長安寺という。 浄土真宗本願寺派の寺で、創建は室町時代後期である。 能島の村上水軍(海の大名)の直系村上修理の次男 村上与三左ェ門正則が開基である。正則は厳島の 戦いで負傷する。 厳島の戦いとは、主君の大内義隆を滅ぼし、さら に領土と利権拡大を狙う陶晴賢と毛利元就の村上 水軍の連合軍との戦いである。 陶軍、二万人に対して毛利軍は劣勢の四千人、加 うるに村上水軍は三百そうの船で戦ったが奇襲に よって陶軍を打ち滅ぼした。 その後村上水軍は毛利軍と組んで、織田信長、豊臣秀 吉、徳川家康の強大な大名と戦うことになる。 特に大阪の石山本願寺と織田信長の十一年戦争では 本願寺の味方をした。 この厳島の戦いで正則は陶軍の放った矢が右目に当り失明。 のち室積の地で隠居し、近隣の人に剣道、弓道等を教 えていたが、思う折あって僧となり巧源と称した。 寺は初め現在地より山の手にあったが、江戸時代の初期に、 京都本願寺直弟の法善が現在地に移した。 現住職は十五世である。 [公民館だより平成19年6月25日より 村上昭爾氏による]
庭 長安寺
山 門 石垣 外回り 庭 鐘 楼> 山門 長安寺の場所
山 門 石垣
外回り 庭 鐘 楼> 山門 長安寺の場所
庭 鐘 楼> 山門 長安寺の場所
山門 長安寺の場所