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山口県光市室積東ノ庄 長安寺(2007-6-29) ..
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山口県光市室積東ノ庄
光来山長安寺の紹介
 2007-12-5

光来山長安寺の由来
室積東ノ庄にあり光来山長安寺という。
浄土真宗本願寺派の寺で、創建は室町時代後期である。

能島の村上水軍(海の大名)の直系村上修理の次男
村上与三左ェ門正則が開基である。正則は厳島の
戦いで負傷する。

厳島の戦いとは、主君の大内義隆を滅ぼし、さら
に領土と利権拡大を狙う陶晴賢と毛利元就の村上
水軍の連合軍との戦いである。

陶軍、二万人に対して毛利軍は劣勢の四千人、加
うるに村上水軍は三百そうの船で戦ったが奇襲に
よって陶軍を打ち滅ぼした。

その後村上水軍は毛利軍と組んで、織田信長、豊臣秀
吉、徳川家康の強大な大名と戦うことになる。

特に大阪の石山本願寺と織田信長の十一年戦争では
本願寺の味方をした。

この厳島の戦いで正則は陶軍の放った矢が右目に当り失明。
のち室積の地で隠居し、近隣の人に剣道、弓道等を教
えていたが、思う折あって僧となり巧源と称した。

寺は初め現在地より山の手にあったが、江戸時代の初期に、
京都本願寺直弟の法善が現在地に移した。
現住職は十五世である。

[公民館だより平成19年6月25日より 村上昭爾氏による]



鐘 楼 


山 門


庭                    長安寺                 

    



 

 山 門


石垣 

                 


外回り






庭 


鐘 楼>
                 



山門

長安寺の場所





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