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光市大和町石城山 神籠石見学会 2007-1-20(土) 




光市大和町石城山
神籠石見学会の紹介
 2007-1-20(土)

1.石城山神籠石見学会
平成19年1月20日(土) 
受付13時〜出発13時30分 解散15時予定

「神寵石サミット」の)開催に向けて、「石城山神籠石」見学
会に参加し、本市の貴重な歴史資産である「石城山神罐石」の
歴史や文化に触れてみませんか

また、この見学会では、平成16年6月集中豪雨一で崩落した石
垣の保仔修理事業が完成したため、修復した石垣や列石などを
見ることができます。

なお、第1回神籠石サミットの開催内容など'については、
次号の広報ひかりに掲載します

●集合場所:石城山山項の広場に各自で集合してください。
●散策時間:約1時間

●散策ルート  
石城山山項 → 東水門(修復箇所)→ 北門 → 石城山山項

内容
○石城山神籠石の歴史・文化にふれてみよう
講師…谷千寿子さん(光市文化財審議会委員)石城山での居住経験者、

○史跡「石城山神籠石」保存修理事業の説明(東水門付近)
講師:教育委員会生涯学習課文化振興職員

●参加:費無料
●携行品:散策に適した服装、タオル、飲み物など
●申込方法:事前に電話またはFAXにてもうしこみください。
●問合せ教:教育委員会生涯学習課   
電話 0833-74-3601  fax 0833-72-2216
 
広報ひかり


2.石城山神籠石について
神籠石(こうごいし)または神籠石式山城(こうごいししきやましろ)
とは古代に築造された山城で、「日本書紀」「続日本紀」に記載がなく、
遺構でしか存在の確認できないものを指す。古代山城(朝鮮式山城)の
比定地にされることもあるが、築造主体など建設の経緯は一切不明である。

特色は、標高200〜400メートルの山頂から中腹にかけて数キロメートルに
わたって一辺が70センチメートル位の切石(きりいし=岩を割って作った
石)による石積みを配列し、谷を通過するときには水門を設けていること。

鏡山猛は、列石前面の3メートル間隔で並ぶ掘立柱穴から、唐尺使用の開
始する7世紀中頃以降の築造としているが、八木奘三郎は、古墳石室の構
築法との比較から、神籠石の築造年代は推古朝(7世紀初)以前としている。
北部九州から瀬戸内沿岸にかけて、16箇所が知られる。

神籠石は、当て字で皮籠石、交合石、皇后石などとも書き、「こうご」の
本来の意味は分かっていない。磐座(いわくら)のことだったという説が
ある。

3.神籠石の発見と論争について
神籠石が学会に発表されたのは、明治31年に小林庄次郎が筑後・高良山
神籠石を「霊地として神聖に保たれた地を区別したもの」として紹介したの
が最初である。

明治33年に九州所在の神籠石を踏査した八木奬三郎が「城郭を除いては、
他にこの類の大工事なかるべし」として城郭であることを主張して以後、
この神籠石の性格について霊域説と城郭説との論争が展開された。

昭和38年(1963年)の佐賀県武雄市「おつぼ山」神籠石の発掘調査で、列
石の背後にある版築によって築かれた土塁と、列石の前面に3メートル間隔
で並ぶ堀立柱の痕跡が発見され、山城であることが確定的となった。

ただし、散見しただけでもそれぞれの神籠石の差異は大きい。御所ヶ谷のよ
うに「最初期形成時代以降にかなりの手が入っていると思われるもの」や、
雷山のように「生活域、食料生産域との隔絶性が高く、水も確保しづらく、
籠城に向かず、、祭祀遺跡との位置関係が特殊であるもの」、おつぼ山の
ように「稲作農耕地域の小丘陵に設置されているもの」などである。

現在まで、神籠石が何時頃作られたかも判明しておらず、成立年代は同じで
あったとしても、これほど様々に状況の違うものを現在的視点から神籠石と
総称している可能性は高く、おつぼ山の調査結果は「神籠石の中に山城とし
て使われていたことがあるものもある」ことを確定しただけに過ぎない。

生活域に近い神籠石の場合、遺構中からの発掘物が無批判に神籠石の性
格を規定できるものではないのも当然である。
また、仮にこれらすべてが単純に朝鮮式山城であった場合でも、それらが戦
略拠点たりえた状況を含めて、そのようなものが西日本の広範な地域に存在
していること、現在までほとんど知られていなかったことは、大和王朝成立
前後や、その過程の古代史を考える上で非常に重要なはずであるが、現代
(21世紀初頭)の歴史研究を取り巻く環境の中で強い興味を持って捉えられ
ることは少ないことから、歴史がどのように形成されていくのかを現代に於
いて知る極めて有効な事例であるとの声もある。
 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による」





広報ひかり


案内図



随身門(仁王門)駐車場の近くで、ここから岩城神社へいける


 文化財説明
                    

           




講師 谷千津子さん他2名


 光市教育委員会生涯教育課職員による説明



牛島方面の瀬戸内海が見える






宇和奈利社 古代の遺跡である。 人が多く説明は聞こえなかった。





日本神社
 新しい神社  国歌の歌詞にある「さだれ石」である。



若宮社 NO.3  古代遺跡 


 物部神社 (古代遺跡ではない)
               


五十猛神社 近い距離に沢山の神社がある 


五輪塔 三千巻(お経が収められているとのこと)
  


 五輪塔近くの鳥居(五輪塔を見ている参加者)


神籠石は崩落修理工事跡 
担当者から修理工法の説明を受けた。文化庁の指導の下
石城山の石を補充し修復した。


神籠石は崩落修理工事の石組み。
金網部分は修復していない部分でこれを参考に修復した。


神籠石 作家松本清張も2度取材に訪れた。
               


山姥の穴 子供のころ講師も穴に入り遊んだとのことである。


神籠石
山城説:土塁の土止め
神威説:神域を囲む半いわさか磐境(いわさか)
時差神威説:当初磐境(いわさか)後土塁の土止め




神籠石に刻まれた柱穴
山城説:土塁を築くため刻まれた柱穴
神威説:見張り台の柱穴







夜泣き石 恋焦がれた娘が石になった。



龍石
右の三角形の開いた場所を龍の口に見立てたのだろうか?


踏石  門扉の基礎石とのことである。


踏石
騎兵隊の隊員が遊びで元の位置から
数メートル上に持ち上げたと説明があった。


光市大和町石城山 の場所




 感想
神籠石は日本古代の山城の遺跡と公式調査では報告されている
しかし、神域説、神域に跡で手加え山城としたとの3つの意見が
明治以降論争が展開されている。歴史ロマンの山のようである。
神籠石は石城山(352M)の八合目付近を鉢巻上に囲む列石である。
総延長2,533Mで、一番大きい石は長さ2.2Mとのことである。
一度見たいと以前より思っていたが、見学会で説明を聞くことができ
幸運であった。歩いた感じでは神域のような気がしたが根拠はない。




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